『We Are The World』USAフォー・アフリカ

1984年、アフリカ、エチオピアでの貧困、飢餓の為、イギリスとアイルランドのロック、ポップス界のスーパースター達が集まり、結集されたチャリティープロジェクトである『バンド・エイド(Band Aid)』・・

イギリスで活躍するするミュージシャン、ボブ・ゲルドフが提唱した『バンド・エイド』の成功に触発を受けたハリー・べラフォンテ・・・

 

 

『We Are The World』USAフォー・アフリカの誕生

『We Are The World』USAフォー・アフリカは社会活動家でもあるエンターテイナーのハリー・べラフォンテの提唱によるものでした。

当時のトップアーティストがレコーディングの為に結集し、売り上げの全てをアフリカの飢餓、貧困層解消の為に寄付するのは長年のハリー・べラフォンテの夢だったのです。

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ハリー・べラフォンテ(Harry Belafonte) 1927年3月1日、アメリカ合衆国ニューヨーク州生まれの93歳 代表曲:『バナナ・ボート』『ダニーボーイ』  『We Are The World』USAフォー・アフリカの提唱者
出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』

 


ハリー・べラフォンテの提唱にライオネル・リッチー、マイケル・ジャクソンが続き、更に呼びかけに応じたのはスティービー・ワンダーやウイリー・ネルソンなどのアメリカのポップス界を代表するアーティスト達でした。

このプロジェクトのアフリカの飢餓と貧困を解決する為に作られたキャンペーンソングが『We Are The World』 USAフォー・アフリカです。

1985年、3月28日リリース、作詞と作曲はライオネル・リッチーとマイケル・ジャクソンのゴールデンコンビによる共作で、プロデュースはアメリカ屈指のプロデューサーと言われているクインシー・ジョーンズが担当しました。

 

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ライオネル・リッチー(Lionel Brockman Richie)

出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

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マイケル・ジャクソン(Michael Joseph Jackson) 

出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

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アメリカ屈指のプロデューサーのクインシー・ジョーンズ (Quincy Jones)
出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』

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スティービー・ワンダー(Stevie Wonder)

出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

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カントリーミュージック界の大御所、ウイリー・ネルソン(Willie Hugh Nelson)


ポピュラーミュージック史に残る『We Are The World』USAフォー・アフリカの楽曲は、ライオネル・リッチーがマイケル・ジャクソンにメロディー案を渡すと、その日のうちに2時間半余りでリズム、コーラス、ソロと作り終えてしまったマイケル・ジャクソン・・・彼の類い稀な才能を示す驚くべきエピソードとなっています。


この、後世の音楽史に残る『We Are The World』のレコーディングの数日前に、当日の参加アーティストでもあるケニー・ロジャースが所有するライオンスタジオにて、ライオネル・リッチーとマイケル・ジャクソン、スティービー・ワンダー、クインシー・ジョーンズが集いデモテープのレコーディング行い、この数日後にポップス界を代表するアーティストの参加招待者の元にデモテープが送られたのでした。

 

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カントリーミュージック界の大御所、ケニー・ロジャース(Kenny Rogers)     

出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』

         

 全ての売り上げをアフリカの飢餓と貧困層の解決の為に寄付

当時の売り上げはアメリカ国内だけでシングル400万枚、アルバム300万枚を売り上げ最終的にはアメリカだけで750万枚、全世界で955万枚を売り上げ、日本に於いても年間洋楽ランキング1位を獲得して誰もが認める世界的な大ヒットとなりました。


シングル、アルバムとビデオの合計で6300万ドル(約65億円)の全ての印税はアフリカの飢餓と貧困層の解決の為にチャリティーとして寄付されました。

 

その後も2004年には20周年記念のDVD、Video『We Are The World Behind The Song』がリリースされ、全ての売り上げやTシャツ等の関連グッズも1985年当時と同じ様に全額が寄付されました。

 

 『第12回アメリカン・ミュージック・アワード(AMA)』の終了後にレコーディング!

1985年1月28日の夜、グラミー賞と並ぶアメリカのポピュラーミュージック界の大イベント『第12回アメリカン・ミュージック・アワード(AMA)』が行われ全米各地からノミネートされた大勢のミュージシャンたち等が集結していました。

ライオネル・リッチーは自らは6部門もの受賞を果たした上で更にホスト役で司会を担当し又、シンディ・ローパーやティナ・ターナーも受賞を果たしステージで歌声を披露していました。

 

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シンディ・ローパー(Cyndi Lauper)

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ティナ・ターナー(Tina Turner)
出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』


『第12回アメリカン・ミュージック・アワード(AMA)』の終了後、その会場から世界のポップス界を代表するメンバーが21時を過ぎた頃にハリウドのA&Mスタジオに移動、直行しました。

アフリカの飢餓と貧困を解決する為に作られたキャンペーンソング、『We Are The World』 USAフォー・アフリカのレコーディングを行う為です。

普通であれば高額な出演料や印税が手に入るべきトップアーティスト総勢45名がノーギャラで難民救済の為に立ち上がり大成功を収めたのは、今から思うと奇跡のプロジェクトだったと言われています。

『第12回アメリカン・ミュージック・アワード(AMA)』の会場には居なかったブルース・スプリングスティーンはコンサート終了後に会場から直ちにロスアンゼルスに降り立ち、駆けつけて丸一日、眠らずに深夜の大一番に望んだのでした。

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ブルース・スプリングスティーン(Bruce Springsteen)
出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

アフリカの惨状を聞き涙する!

次々とレコーディング会場に現れるアーティスト達の様子を見ていた『バンド・エイド(Band Aid)』の発起人であるボブ・ゲルドフ今回の参加アーティスト達が、この曲の持つ重要な意味を忘れかけているかの様な雰囲気を感じました。

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ボブ・ゲルドフ(Bob Geldof) 

出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

ボブ・ゲルドフは今、現在にアフリカで起こっている惨状を話し始めました。

話し終わる頃にはアーティスト達の目の色が変わり、中には涙する人もありました。

そんな中、スティービー・ワンダーがレコーディングスタジオに、あるエチオピア女性を連れて来たのでした。

そのエチオピア人女性が祖国の飢饉の惨状を話し始めると、聞く者にとってはアフリカの現実が身近に胸に迫ってきます。

彼女は「祖国の人を代表してあなた方の御厚意に深く感謝申し上げます。」と挨拶して涙ぐみます。

その女性の挨拶に参加アーティスト達も拍手を送りながら涙ぐんでいたのでした。

 

プロジェクト成功の為にはプロデューサーの指示を忠実に!

 21時にメンバーが集まり始め、集った45名のメンバー中、『We Are The World』のソロのパートが与えられるのは21名、この21名の個性豊かなソロとハーモニーが『We Are The World』の楽曲のクオリティーを更に高めています。

誰がどこのパートを歌うのかはプロデューサーであるクインシー・ジョーンズの判断であり、このプロジェクトの提唱者であり大御所のハリー・べラフォンテでさえソロのパートは与えられません。

ハリー・べラフォンテの様子をメイキング映像で見ると只々、このプロジェクトの成功の為に最後列でコーラスに徹し切っている姿、何処にも不満めいた雰囲気は全く感じられません。
ハリー・べラフォンテだけで無く、その他のベット・ミドラー等のトップアーティスト達も皆、同じで想いでソロのパートは無くとも『We Are The World』USAフォー・アフリカの成功の為にエゴの心無く、コーラスに徹し切っている姿は感動的です。

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ベット・ミドラー(Bette Midler)
出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
 

プロデューサーのクインシー・ジョーンズは最初に『We Are The World』USAフォー・アフリカのデモテープを参加招待者の元に送った時に「自分のエゴはスタジオの入り口に預けてきてくれ」とのメッセージが添えられていたと言います。
又、クインシー・ージョーンズの提案でいつもは豪華な衣装を身に付けているトップアーティスト達へ「派手な格好は無し!タキシードもドレスも無いパーティーだ!」と・・・

 

夜の10時からスタートして全てのレコーディングが終了したのが朝の8時、ノーギャラでの人の命を救う為の徹夜の大仕事だったのです。

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午前3時からのリハーサルではプロデューサーのクインシー・ジョーンズが歌って見せて指導、曲を提供したマイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーも先頭を切って他のアーティスト達に指導しています。

その間にそれぞれに個別練習をする人も有るのですが目の不自由なレイ・チャールズとスティービー・ワンダーは電子点字表で歌詞を覚えます。


メイキング映像で意外だったのは2016年に音楽界で初のノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランがスティービー・ワンダーにピアノを弾いてもらい練習をしながら「これでいいかな?」「これで大丈夫かな?」と熱心に何度も練習をしている姿でした。

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ボブ・ディラン(Bob Dylan)
出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』            
                         

遂にレコーディング へ!

 


We Are the World   歌詞、日本語訳付き

 

ソロのパートを受け持つアーティストの順番

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ライオネル・リッチー(Lionel Brockman Richie)
1949年6月20日、アメリカ合衆国生アラバマ州生まれ  
代表曲:『Say you Say me』
出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』            
                         

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スティービー・ワンダー(Stevie Wonder)
1950年5月13日、アメリカ合衆国ミシガン州生まれ  
代表曲:『心の愛(I Just Called To Say I Love You)』『迷信(Superstition)』
出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
      
        

 

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ポール・サイモン(Paul Simon)
1941年10月13日、アメリカ合衆国ニュージャージー州生まれ  
代表曲:『明日に架ける橋(Bridge Over Trouble Water)』 『サウンド・オブサイレント(The Sound Of Silence)』
出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』 
     

 

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ケニー・ロジャース(Kenny Rogers)
1938年8月21~20203月20日(81歳没) アメリカ合衆国テキサス州生まれ 
代表曲:『Lady』
出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
       

 

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ジェイムス・イングラム(James Ingram)
1952年2月16日~2019年1月29日(66歳没)  アメリカ合衆国オハイオ州生まれ  
代表曲:『アイ・ドント・オブ・ザ・ハート(I Don't Have The Heart)』
出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』       

 

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ティナ・ターナー(Tina Turner)
1938年11月26日、アメリカ合衆国テネシー州生まれ  
代表曲:『愛の魔力』
出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』       

 

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ビリー・ジョエル(Billy・Joel)
1949年5月9日、アメリカ合衆国ニューヨーク州生まれ  
代表曲:『素顔のままで』『She’s got a way』
出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』       


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マイケルジャクソン(Michael Joseph Jackson)
1958年8月29日~2009年6月25日(50歳没)アメリカ合衆国インディアナ州生まれ  代表曲:『ビリー・ジーン(Billie・Jean)』『スリラー(Thriller)』
出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』       

 

 

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ダイアナ・ロス(Diana Ross)
1944年3月26日、アメリカ合衆国ミシガン州生まれ 
代表曲:『If we hold on together』
出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』       

 

 

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ディオンヌ・ワーウィック(Dionne Warwick)
1940年12月12日、アメリカ合衆国ニュージャージー州生まれ
代表曲:『小さな願い』『愛のハーモニー』『ハートブレイカー』
出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
        

 

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ウイリー・ネルソン(Willie Hugh Nelson)
1933年4月29日、アメリカ合衆国テキサス州生まれ 
代表曲:『Always On My Mind』

 

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アル・ジャロウ(Al Jarreau)
1940年3月12日~2017年2月12日(76歳没) アメリカ合衆国ウィスコンシン州生まれ
代表曲:『モーニン(Mornin’』
出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』       

 

 

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ブルース・スプリングスティーン(Bruce Springsteen)
1949年9月23日、アメリカ合衆国ニュージャージー州生まれ
代表曲:『Dancing in the Dark』
出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』       

 

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ケニー・ロギンス(Kenny Loggins)
1948年1月7日、アメリカ合衆国ワシントン州生まれ

代表曲:『フットルース(Footloose)』『デンジャー・ゾーン(Danger Zone)』
出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』       

 

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スティーブ・ペリー(Steve Perry)
1949年1月22日、アメリカ合衆国カリフォルニア州生まれ
代表曲:『オープン・アームズ(Open Armms)』『オーシェリー(Oh'Sherrie)』
出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』       

 

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ダリルホールとジョン・オーツからなる、アメリカのブルー・アイド・ソウル・デュオである。ホール・アンド・オーツの略称でも知られる。
ダリル・ホール(Daryl Hall)
1948年10月11日、アメリカ合衆国ペンシルべニア州生まれ
代表曲:『プライベート・アイズ(Private Eyes)』
出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』



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ヒューイ・ルイス(Huey  Lewis)
1950年7月5日、アメリカ合衆国ニューヨーク州生まれ
代表曲:『Do you believe in love』

 

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シンディ・ローパー(Cyndi Lauper)
1953年6月22日、アメリカ合衆国ニューヨーク州生まれ
代表曲:『Time After Time』『True Color』

 

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キム・カーンズ(Kim Carnes)
1945年7月20日、アメリカ合衆国カリフォルニア州生まれ
代表曲:『Bette Davis Eyes(ベティデイビスの瞳)』
出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』 

 

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ボブ・ディラン(Bob Dylan)

1941年5月24日、アメリカ合衆国ミネソタ州生まれ
代表曲:『風に吹かれて(Blowin' In the Wind)』
出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』 

 

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レイ・チャールズ(Ray Charles)
1930年9月23日、アメリカ合衆国ジョージア州生まれ
代表曲:『愛さずにはいられない(I Can't Stop Loving You)』
出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』 

 

自分がトップアーティストである事も忘れ、お互いがファンになる!

普段であれば高額な出演料や印税が手に入るアーティスト達です。
ノーギャラで他者の命を守り救う為の行動をしている総勢45名の顔は生き生きと輝き歓喜に溢れている様に見えます。

アーティスト達は、それぞれ初めての出逢いの人々も少なくありません。

それぞれが自分がトップアーティストである事もすっかり忘れてしまい、思わぬ出逢いにはしゃいでいたそうです。

『We Are The World』USAフォー・アフリカの大仕事を終えた達成感の後、皆が興奮状態で各々がお互いのファンとなり互いにサインを求め合いこの【奇跡のプロジェクト】の記念に、お互いに楽譜にサインをし合ったのでした。


プロジェクトが終わってのコメント

 

この企画は自分にとって又とない機会だった。人の役に立つ事に参加し貢献できるからね。招かれただけでも光栄だよ!                レイ・チャールズ

 

 

僕らの使命は生きる意味を見失った人を歌を通して癒す事だと思う。人の為になる歌を歌うことにあると思うんだ。    ティービー・ワンダー

 

今回の活動で救える命は数千人いるだろう。そうやって一人づつ救う。子供一人、女性一人、老人一人、若者一人ってね!やるしかない!  

                                                                                   ハリー・べラフォンテ

 

飢饉の問題を誰にも消し去って欲しくない。飢えで死ぬ子供がいなくなるまで君たちの助けが必要なんだ。もし人の命やその尊さについて少しでも考えられたら、出来る範囲で分け与えて欲しい。死んでいく人がいる限り。                                                                    ライオネル・リッチー

 

『We Are The World』USAフォー・アフリカの歌詞

"We Are The World ,  We Are The Children ,  We Are The Ones Who Make 
A Brighter Day , So Let's Start Giving" 


日本語訳詞 【私達自身が地球なんだ。私達は皆、地球の子供なんだ。そしてこの地球を又、輝かせるのは私達自身なんだ、だから与えることから始めよう。】

 

 

 今こそ呼ぶ声を聴く時
世界が一つになるべき時
死にゆく人々がいるから
今こそ手を差し伸べる時なんだ
命という素晴らしい贈り物へ向けて

知らないふりをして日々を送るのはもう終わりさ
誰かが、どこかで変えてくれるなんてのは
僕らはみな神の一部であり家族なのだから
それが真実なんだ、わかるだろ
愛こそが本当に僕らが必要としているものなんだ

僕らは世界とひとつ、僕らは子供
僕らこそが 輝ける明日を作り出せるんだ
だから与えることを始めよう
僕らの選択が創りだす
それは自分たちの人生を救うことで
それこそが真に良い日々を作るんだ
君と僕からはじめよう

君の心を伝えるのさ そうすれば彼らは誰かが助けてくれることを知るだろう
そして彼らの生は強く自由になってゆく
神が石をパンに変えることで示してくれたように
僕らも救いの手を差し伸べる時なんだ

君が疲れ果て、希望も見えなくなってしまったとしても
信じさえすれば 決して倒れることがないんだとしたら
一緒に実現しよう、変化こそがそれを成せるのさ
僕らがひとつになりさえすれば

引用元:訳詞の世界