ビートルズ 初来日について The Beatles forever!

 世界的な大流行のコロナウィルスによる外出自粛により海外への往来も制限されている昨今、

ビートルズファンなら一度は行ってみたいイギリス、ロンドン、リヴァプール

美容師をしているのでロンドンへは"ビダル•サスーン"アカデミーへ、ヘアーカットの勉強の為に行きましたが•••

今度は"ビートルズゆかりの地を巡る旅"の様な経験をしてみたいと思っています。

 

ロンドンの"ビダル•サスーン"の記事はこちら

www.9rumisan.com

 

ビートルズは1962年にデビュー以来、半世紀以上の時を経て今なお瑞々しい感動を与え続け、もはや彼らの存在も楽曲も永遠不滅といっても過言ではないと思っています。

 

イギリスの港町、リヴァプールに4人の天才が誕生

 ビートルズの4人はイングランド北西部の港町リヴァプールに生まれました。幼少期を過ごした1950年代は第二次世界大戦の終戦で街は戦争の爪痕の残る時代です。

それに比べてアメリカ(USA)は、まだ穏やかで豊かな生活でした。

 

4人が生まれ育った港町リバプールは多くの船員達がアメリカの文化、音楽を運んで来たのです。当時、多感な少年だった4人には新鮮で大変に魅力的なことで特に影響を受けたのが音楽、ロックン・ロールだったのです。

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 ロックン・ロールとは一説によると白人のカントリーミュージックと黒人のR&B(リズム&ブルース)が融合したものとも言われています。

 

どんなアーチストでも影響を受けたアーチストがあるものですがビートルズも例外でなく

リトル•リチャードやチャック•ベリーからも大きな影響を受けました。

この2人が黒人のシンガーソングライターだった為、ビートルズのメンバーはブラック・ミュージックに傾倒していきます。

特に ジョン・レノンはチャック・べリーを敬愛し「ロックンロールを他の言葉で言い換えるとなるとチャック・ベリーだ!」とまで言っています。

 

僅か8年の活動期間で1966年の東京、武道館での公演、その他にも色々な地域、世界各地を飛び回りましたが主な活動場所は公私共にロンドンでした。

 

 

ビートルズ活動中の最後のレコーディングアルバムとなった「アビー•ロード」のジャケットの撮影場所として有名になったアビー•ロード•スタジオ前の横断歩道

4人がジョンを先頭に横断歩道を渡るアルバムのジャケット写真は有名ですよね!

 

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ビートルズファンの観光客がこぞって訪れていたアビー•ロードですが、世界的なコロナウィルスの影響で観光客が激減した今こそがチャンス!と道路の補修がされているそうです。

 

 

EMI Recording Studiosの名称からアビー・ロード・スタジオ と改名

アビー・ロード•スタジオは1831年のジャージ王朝風の建築物をイギリスのレコード会社EMIが購入後、1931年に録音スタジオに改築されました。

静かな住宅街の中の瀟洒な外観はロックとは似つかわしくないイメージですがイギリスらしい雰囲気が漂っていて1970年にアビーロード•スタジオと改名されました。

スタジオの近隣の家々もレコード会社EMIが購入し、ミュージシャンの宿泊先として利用されました。

最も広い第一スタジオはオーケストラやオペラの収録に使われ、第二スタジオを使っていたビートルズはこのスタジオから大きな成功を手にして行くことになりました。

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スタジオの前の門や壁はファンのメッセージや落書きでいっぱいで3ヶ月おき毎に一回塗りつぶされるそうです。

 

日本の武道の聖地、武道館に於いて初めてのロックコンサート

 1966年の世界ツアーは6月24日のドイツから始まりました。3日間のドイツ公演の次に向かったのは日本、東京での日本武道館

 

1966年6月30日、私が小学生の時、ビートルズが初来日しました。(後にも先にもこの時の一回だけの来日)

以前も書きましたがこの頃は、まだまだ洋楽がテレビ、ラジオから耳に触れる事が少ない時代です。

その少ない中で、幼ないなりに珍しく耳にしたビートルズの楽曲に鳥肌が立つ様な感動を覚えた事を記憶しています。

 

当時、小学生ながらテレビ放映を心待ちにしていて、TVにかじりつく様にして視聴していた事を覚えています。

 

コンサートは日本武道館に於いて昼、夜で合計5回行われました。

 

日本武道館は1964年、東京オリンピックの柔道の競技場として建設されたものです。

 

今でこそ日本武道館でのアリーナツアーというのはミュージシャンにとっては一流の証の様になっていますが、当時は日本の武道の聖地と言える様な場所でロックのコンサートを開催するとは「何と、けしからん!」と強硬な反対意見の識者も多くいました。

 

当時は1万人も収容できる施設は、あまり無かった為に日本武道館での初のロックコンサート開催となりました。

 

その後、現在に於いて日本武道館は世界中に知られる会場となり"ロックの殿堂"などと呼ばれる程になりました。その場所で演奏する事はミュージシャンのステータスとなり世界中のミュージシャンの憧れの場所とまでなってしまったのです。

 

当時、日本テレビが独占中継権を得てスポンサーはライオン油脂、歯磨きのライオン、

収録は6月30日の夜と7月1日の昼との2回でした。

当時、用意されたチケットは約3万枚で往復ハガキによる抽選でした。

A席〜C席のうちA席は2100円

今から半世紀以上の昔なので当時としては高額だったのでしょう❗️

 

7月1日の昼間に収録されたステージがその日の夜にオンエアされ、21時〜放送開始、視聴率は56.5%の高視聴率でした。

 

まずビートルズ公演に於いて、最初の登場者は前座である当時の日本のロックン・ロールを牽引していた尾藤イサオ、内田裕也、ジャッキー吉川とブルーコメッツ、ブルージーンズ、望月浩、又、何と!信じられない事にコミックバンドのドリフターズも出演しています。皆で「Wellcome To Beatles」を歌い歓迎の意を表します。

 

ドリフターズの出番では加藤茶がドラムを叩いてビートルズも影響を受けたと言われているリトル•リチャード「のっぽのサリー(Long Tall Sally)」を演奏しています。

悲しいことに先日、コロナウィルスによる肺炎でお亡くなりになった志村けんさん

ドリフターズ"の一員でしたが、まだこの時は芸能活動はしておらず、武道館の公演で客席にいらしたとの事です。

 

この前座が1時間以上も続き「ビートルズは何時になったら出てくるの⁉️」と皆がイライラしてブーイング•••

 

待ちに待ったビートルズの登場、全部で11曲を歌いそれも全てショートバージョンで僅か45分でアンコールも一切無しで終了してしまいました。

  演奏された曲目

1  Rock and Roll Music

2   She's A Woman

3   If I Needed Someone

4   Day Tripper

5   Baby's In Black

6   I feel Fine

7   Yesterday

8   I wanna Be Your Man

9  Nowhere Man

10  Paperback Writer

11  I'm down

 

   
THE BEATLES - Nowhere Man - Live At Nippon Budokan Hall, Japan 1966 1st Concert

当時の映像ですが日本武道館での公演で9番目の曲”Nowhere Man”

 

日本公演の11曲の中では私、個人的には

Day Tripper    I feel Fine   Yesterday    Nowhere Man    Paperback Writer が好みの曲です。 

Nowhere Man”はジョン・レノンの作曲なのでジョンがリードヴォーカル担当してますね。

 

あまりの人気でホテル(当時の東京ヒルトンホテル)から外に出れないビートルズ

折角の初の日本公演にも関わらず、余りの爆発的な人気の為、いつもファンに取り囲まれていてプライベートタイムもホテルから一歩も外に出れず缶詰状態、日本のお土産を買うにも、外に出れずにホテルの部屋の中に様々なお土産を持ち込んで対応して貰ったとの事です。(当時の東京ヒルトンホテルは後に建て替えによりザ・キャピトル東急として再開業しました)

 

 

しかしジョンとポールは要領良く、脱出に成功。皇居の周りを40分位は散歩が出来たそうですが警官に見つかりホテルへ連れ戻されたようです。あまりに人気があり過ぎても自由が無く可愛そうな気もしますね。

 

7月3日、3日間、5回の日本公演を終え羽田空港から次の公演先のフィリピンへと飛び立ちました。

 

 

まだまだ長くなりそうなので続きは今度にしたいと思います。

又、読んで頂けたら嬉しく思います。

有り難うございました。