「青い影」「プロコル・ハルム」とユーミン

 今迄、小学生の頃からずーっと自身の中で、色褪せずに心に残っている音楽、曲について書かせて貰っていますが、今回は世界中で大ヒットした「青い影」、「プロコル・ハルム(Procol Harum)」とユーミンについて調べてみました。

 

1967年「プロコル・ハルム(Procol Harum)」誕生

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 1967年「プロコル・ハルム(Procol Harum)」はイギリスのエセックス州で結成され、

バンドのリーダーであるゲイリー・ブレイカー(Gary Brooker)が以前、組んでいたバンドは「パラマウンツ(Paramounts)」というグループ。

当時、「パラマウンツ(Paramounts)」は「R&Bの最高のバンド」だと、あのミック・ジャガー(Mick Jagger)から言われた位、才能あるバンドだったのですが中々、売れずに解散を余儀なくされてしまいました。

 

そこで、中心人物だったゲイリー・ブレイカーは新たにメンバーを募る事になり、そのタイミングで出会ったのがキース・リード(Keith Reid)という詩人でした。

 

その頃は、ロックの流れが変化して行く中で哲学的な要素のある詩が持てはやされ、ゲイリー・ブレイカー(Gary Brooker)は才能溢れる詩人、キース・リード(Keith Reid)の詩に感銘を受け、キースの詩に見合った曲を作りたいと思ったと述懐しています。

 

 この意気投合した2人の出逢いの後、音楽学校でクラシックを学んだキーボード奏者のマシュー・フィッシャー(Matthew Fisher)を初めとして演奏者5人の新メンバーと詩人のキース・リードの6人により「プロコル・ハルム」は誕生したのでした。

 

ロックとクラシック音楽との融合


J.S.バッハ / 管弦楽組曲第3番 BWV1068「G線上のアリア」

当時ゲイリー・ブレイカー(Gary Brooker)は、ロックにクラシック音楽を取り入れる事に興味を抱いていて「クラシック音楽のテイストを持つ荘厳なロック」をテーマにした曲作りを目標としていました。

プロコル・ハルム、最大のヒット曲 「青い影」の誕生

「青い影」はリード・ヴォーカルとピアノ担当のゲイリー・ブルッカー(Gary Brooker)が作曲を、詩人であるキース・リード(Keith Reid)の詩、キーボード奏者のマシュー・フィッシャー(Matthew Fisher)がオルガン演奏でのイントロ部分の作曲を担当しました。

1967年5月に、クラシックの要素を取り入れたオルガンの響きが印象的な、壮大感のある名曲「青い影」が誕生し、プロコル・ハルムのデビュー曲にして最大のヒット曲になりました。

 

 1967年と言うと同じイギリスに於いてビートルズ(Beatles)が「愛こそすべて(All You Need Is Love)を発表した年ですが、さすがのビートルズもこの時ばかりは及ばず「青い影」は1967年の英国音楽シーンを席巻しました。

 


青い影【訳詞付】- Procol Harum

 

 「青い影」はバッハ作曲の「G線上のアリア」に触発された曲 

 「青い影」はヨハン・セバスチャン・バッハ作曲の「G線上のアリア」をベース(下敷き)に作られて「G線上のアリア」に触発された曲だと言われ、ハモンド・オルガンの演奏で始まるイントロを聴いている限りは、クラシック・ナンバーだと勘違いされてしまいそうです。

味わい深いゲイリー・ブルッカー(Gary Brooker)のボーカルとキーボード奏者マシュー・フィッシャー(Matthew Fisher)のオルガンが重要なポイントの曲となっています。

又、ゲイリー・ブルッカー(Gary Brooker)はピアノも担当する為、マシュー・フィッシャー(Matthew Fisher)のオルガンとのダブルキーボードの曲も多くあります。

 

1967、5月にリリースしたデビュー曲が想像を絶する大ヒットとなり、あっという間に38万枚のセールスで、あのビートルズでさえも達成していない本国での6週間連続のヒットチャート1位を成し遂げ、瞬く間にヨーロッパの国々、アメリカ、日本など世界中の大ヒットとなりました。

その為に誰でも1度は聞き覚えのある哲学的な歌詞と壮大なメロディーで多くのアーティスト達に影響を与えました。

多くのアーチスト達に影響を与えた「青い影」 

同世代で活躍していたビートルズの、あのジョン・レノン は当時「今の音楽業界では【青い影】以外は聴く価値は無い」とまで言わしめて称賛しています。

日本のシンガーソングライターのヤマタツこと山下達郎はラジオから流れる「青い影」を耳にした途端、レコード(CDの無い時代)店へ駆け込み、その場で100回は聴いたという逸話があるそうです。

現在までに世界のアーティスト達による、カバーバージョンの数も1000を超えると言われ、如何に多くの人々に敬愛されている曲かが伺い知れます。

ユーミンとプロコルハルム 

ユーミンこと松任谷由実がプロコル・ハルムから多大な影響を受けた事はユーミンのファンなら有名な話です。

小学校を卒業してカトリック系の女学院に入学したユーミンは、初めて耳にした教会のパイプオルガンの楽曲(バッハのトッカータとフーガニ短調)に衝撃が走ったと述懐しています。

当時、ユーミンはロックやポップスにも関心強く、好きなロックと教会音楽の二つの真逆に思える音楽を融合させたプロコル・ハルムの「青い影」に出逢ったのです。

 

ロックの中に様々なジャンルの音楽を融合できる・・・

ロックはギター!との概念を打ち破り、オルガン等の鍵盤楽器での表現が可能である事を知り、作曲への道を志したと言います。

 

後にユーミンは「【青い影】に出逢っていなかったら今の私は無かった!」と述懐しています。

ユーミンの曲作りの契機になっただけで無く、多くの作品の中には「翳りゆく部屋」を始めとして、幾つか「プロコル・ハルム」の影響を感じられる曲に出逢う事があります。

 


松任谷由実 YOSHIKI【翳りゆく部屋】 2000 東京国際フォーラム

ユーミン、長年の共演の夢を遂に実現!

 ユーミンは2012年、デビュー40周年を前に、「プロコル・ハルムは自身の原点である!」という事を書簡に、したため自身の想いを綴りプロコルハルム宛に送りました。

9月にユーミンはプロコル・ハルムのスタジオを訪れ、一緒に「青い影」のレコーディングを実現させ、又、プロコル・ハルムの演奏で「翳りゆく部屋」や「ひこうき曇」等を歌い、11月に長年のユーミンの夢であった、コラボツアー開催予定の為にリハーサルも行ったのでした。

 

2012年、11月28日~横浜・パシフィコ横浜よりスタートし全7公演、憧れのプロコル・ハルムとの共演を果たしたユーミンの感激は如何ばかりか!!

長年の夢を実現させたユーミンは

「実はものすごく緊張していて、キャリアは40年も積んだはずなのに何の役にも立たないみたい。今はまるでデビューコンサートの時みたい。」

「今日のこの日のことは、間違いなく人生最後の日まで持っていくことになると思うんですけど 皆さんにはその証人になってもらって、今日は本当にありがとう。」

と、ユーミンの憧れのプロコル・ハルムとの共演は感激冷めやらずで幕を閉じました。

今もなお、衰え知らずの「プロコル・ハルム」とユーミン

1972年、多摩美術大学に在学中の18才の頃「返事はいらない」でデビューし、半世紀近く日本のミュージックシーンを牽引し今もなお、衰えを知らないーミン。

1967年に誕生したプロコルハルムも一度は1977年に解散したものの、14年もの時を経て1991年に再結成し今もなお、リーダーのゲイリー・ブルッカー(GaryBrooker)のソウルフルな歌声は、更に深みを増し健在でファンとしては心強く嬉しい限りです。